□ある海人(漁師)息子の日常

□海人息子の日常(海)jpg

前日に仕掛けた網を早朝に引き上げに行くんだけど、父親がビーチャー(酔っ払い)だったから、ほとんど毎日子どもだけで行っていたよ。朝三時~四時頃起こされるから眠かったけど、母親がアイスやみかん・黒糖とか、ごほうびをくれるから起きていたんだろうね。さすがに天気の悪い日は父親が行っていたけど、子どもだけで行っていたなんて信頼されていたんだね。

車を持っている家もほとんど無かったから、移動手段は馬車。魚を冷やす氷は毎日バスで街から運ばれてきていたね。
夏は布にかけておいて溶けないようにしていたさ。氷の入った木箱の中に捕った魚を入れて、町まで運んでいたね。

馬車の荷台も手作り、車やバイクの廃タイヤを使って車輪にしたり、木を組み合わせた車輪を鉄に巻いて使っていたよ。

自分はよく手伝いをしていたので町まで行くと、みんなに内緒で一人だけ今川焼きを買ってもらったのが嬉しかったさ。
昔はイカ・タコ・イラブチャー(ブダイ)なんかが良く売れていて、ミ―バイ(ハタ)やアバサー(ハリセンボン)は売れないから捨てていたんだよ。今じゃ、売れる魚は反対になってしまったね。

学校が終わって帰ってくると網に残っている魚を取りに行くんだけど、家からカブ(バイク)に乗って海まで行っていたんだよ。バイクを置いた場所から魚を上げた場所までは遠いから、浜に魚を置いてから歩いてバイクを取りに行っていたね。

そして、荷台に載せた木箱に魚を入れて家に持って帰っていたよ。あの頃は高価だったから自転車は無かったけど、小学校でバイクが乗れていたね。今じゃ考えられないね。

海の手伝いだけじゃつまらないから、時々、竹と拾った鉄でイーグン(モリ)を作って、タコとか取って遊んでいたよ。あれは面白かったさ。いらない魚は友達なんかにあげたりもしていたよ、友達は喜んで持って帰っていたね。夏は底地湾・冬は名蔵湾と海峡によって使いわけていたから、一年中手伝いをしていたね。冬でももちろん裸で泳いでいたよ。
濡れるのが嫌だったんだね。

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