星の砂の話

それは、まだ八重山の島々ができてまもない頃のお話。
天の星の女神さまが、星の子を身ごもりました。
星の子を産むにあたって、「どこか清らかな場所がないでしょうか」と天の神様に相談したところ、
「あの島の沖のサンゴと白砂の美しいところがよかろう」とちょうど現在の竹富島の沖のとても美しい場所を教えてもらいました。

星の女神はさっそくその海で星の赤ん坊を産みました。
ところが、それを知った海の神は「ワシにことわりもなく、こんな所に子供をたくさん産み落としたのは誰だ!せっかくのワシのお気に入りの海が台無しではないか」と怒り出してしまいました。
怒った海の神は、海蛇を呼び「よいか、ここに産み落とされているものを全部飲み込んでしまえ!一つも残すな」と命じました。
海蛇は海の神の命令通りに星の子ども達をすべて飲み込んでしまいました。

後には、白い星の子どもの小さな骨だけが、砂に混じって残されました。
それを知った天の神様は、その骨を拾って香炉に入れ、お正月の朝にお香を焚いて星の子ども達の魂を天に送るように人間たちに言いつけました。
そのおかげで、子ども達の魂は星となり、天の星の女神さまの星の周りで光り輝くようになったと言い伝えられています。

現在でも、竹富島では年に一度御嶽の祭りの時になると、必ず香炉の星砂を入れ替えているそうです。

からすとゆふぁーるー(アカショウビン)

みなさん 「アカショウビン」という鳥をご存知でしょうか?沖繩はもちろん石垣島でも、4~5月頃から夏の間よく見かける野鳥です。カワセミの仲間です。全身オレンジ系の赤できれいです。

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昔 カラスは、赤くてきれいな鳥でした。そして ゆふぁーるーは真っ黒で地味な色の鳥でした。夏のある日 ゆふぁーるーは、友達の すずめ たちとおしゃべりをしていました。「からすさんは、赤くてきれいな、着物を着ていていいよね。でも ゆふぁーるーさんも黒くてかっこいいよね。」 そう言われた ゆふぁーるーでしたが、一度でいいから からす の赤い着物を着てみたいなーと心の中でいつも思っていました。「今日は、暑いから みんなで、水浴びにいかないか?」とすずめさんにさそわれ一緒に 水浴びに行く事になりました。その途中で からすさんに、会いました。「からすさんも一緒に、水浴びに行きませんか?」みんなで水浴びに行くことになりました。水浴びのために 木のしたに脱いだ着物を置きました。ゆふぁーるーもからすの隣に着物を置きました。みんなで、水浴びをしていましたが、ゆふぁーるーはどうしても からすの赤い着物を着てみたくてしょうがありません。そこで ゆふぁーるーは、ちょっと用事を思い出したと先に帰ることにしました。他のみんなは、まだ暑いからとまだ水浴びをしていくことになりました。そして ゆふぁーるーは、からすの赤い着物をこっそり来て帰っていきました。しばらくしてみんなが、水浴びを終えて帰ろうとすると、からすの赤い着物はなくなっていて、黒い着物がおいてありました。「くそう、ゆふぁーるーめ 私の赤い着物を盗んでいったな。」・・・・・ それからというもの、からすは黒く アカショウビンは、赤い鳥になり、いつも からすが 着物を取り返しに来るかもしれないと 怯えて暮らしているんだってさ。

平久保チャリティー祭

今日はどんより 曇りの石垣島です。湿度が高く蒸し暑いです。台風の影響ですかね。次の台風8号が来週の火曜日ぐらいにまた本当付近を通過するかもしれません。今年は台風が多いですね。
週末土日は天気予報では、まずまずの天気みたいです。

7月7日(土)平久保校区チャリティー祭 開催です。
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場所は弊社のお客様でもある セブンカラーズ石垣島さんです。サバニライド バナナボートなども楽しめます。
平久保校区チャリティー祭

その後は町で
オリオンビアフェスト2018in石垣

冬の夜長

こんにちは。今日は曇りのお天気です。昨日の最高気温は25.3℃でしたが、今日は22℃どまりでした。
さすが年末、石垣島もクリスマスっぽい雰囲気がちらほら
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昨日は本当にいいお天気だったので、近くの底原ダムにお散歩に行きました。於茂登岳もくっきり見えます。
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今年は22日が冬至ですが、これから月がどんどん欠けていきますね。次の満月は、来年1月2日です。石垣島は星空が有名ですが、実は日本100名月にも選ばれています。認定登録第22号/B類「石垣島のうふづき(大月)/十三夜の下で島唄を」
『日本百名月』の第三回認定登録地を決定
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『日本百名月』

月が輝いていると 星はあまり見えませんが、冬の夜長 月を眺めるのもいいかもしれません。

■沖縄人を演じた大スター・マーロン・ブランド

■マーロンブランド

■沖縄人を演じた大スター・マーロン・ブランド

マーロン・ブランドといえば、『ゴット・ファザー』で有名なハリウッドの大スターだが、昭和31年の映画『八月一五夜の茶屋』では、なんと沖縄人青年の役を演じている。『八月一五夜の茶屋』は、米軍に占領された直後の沖縄を舞台に、米軍と沖縄住民との珍妙な交流を描いた小説だ。これがブロードウェイの舞台にのせられ、大ヒットした。
このミュージカルが、MGMと大映との共同制作による映画化が決定すると、大の東洋びいきだったブランドは、
自らMGMの首脳部にかけあって、この映画に出演することを約束させた。
そこで、ブランドのもらった役というのが、この映画の狂言回しを演じる、沖縄人青年「サキ二」だったのである。
ところで、ブランドはこの映画に出演するため、のちに名作といわれた、いくつかの作品の主演依頼を断っている。
なかでも、マルク・アレグレ監督のフランス映画『チャタレイ夫人の恋人』のメラーズ役を断ったことは、ブランド自身、のちのちまで後悔しつずけたと言う。

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■日本で初めて全身麻酔手術をしたのは沖縄人?

■華岡青洲

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1805年、和歌山の医師・華岡青洲が、チョウセンアサガオを主剤とした麻酔薬「通仙散」を発明し、
麻酔による乳ガン手術に成功した。これが、わが国における麻酔を使った最初の手術で有る、と言われている。
ところが、青洲の手術に先立つ事115年前、全身麻酔を用いて兎唇(みつくち)の手術をおこなった人が沖縄にいた、と言う記録が有る。
世界で最初に麻酔手術をした人は、今から凡そ千八百年前の中国の医師・華殷だと言われている。
17世紀の中国・福州に、その華殷の流れをくむ、黄会友という名医がいた。
黄は、麻酔手術によって兎唇を治すというので評判だった。
この噂を聞いて喜んだのは、ちょうどそのころ、福州に留中だった琉球の進責使一行で有る。
というのは、琉球国王の孫、尚益が兎唇であった為なんとかしてこれを治すことが国家的な関心事になっていたからだ。

■高嶺徳明

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そこで、兎唇術を随員の一人に学ばせる事にし、白羽の矢がささったのが、高嶺徳明という36歳の那覇士族だった。高嶺は、別に医学の知識があったわけではなかったが、中国語に堪能で有る事を見込まれたので有る。
徳明は、さっそく黄会友にあって、その術を伝授してほしいと申し入れた。しかし黄は、先祖代々、一世一伝の秘伝だからと言って、その申し出を断った。しかし、徳明は諦めずに、これは国家の命運にかかわる重大事で有り、絶体に口外はしないと約束して、黄を説得した。黄は、とうとうその熱意に負けて、秘術を伝授し、秘伝書を与えた。徳明は、翌年5月に帰国すると、まず、男女二人の子供に手術をほどこし、好結果が得られると、尚益の手術を行い、見事に成功をおさめたのだった。ときに1689年11月20日の事だったと言う。
その後、徳明は、薩摩の琉球在奉行の命によって、奉行所つきの医師にこれを伝え、秘伝書も与えた。この秘伝書が、およそ1世紀をへて、華岡青洲のもとに伝わったのだと言われている。ところで、徳明は、他人に口外しないと言う黄との約束を破った為、自分の子孫が医者になる事を禁ずる。と言う過言を残して死んだと言う。

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龍とムカデとニワトリ

前回の昔話と内容はほぼ重複しています。

むかし1匹の龍が山の谷川の側で眠っていると、急に耳の中がチクチクと痛くなり それが、だんだんひどくなって、いても たってもいられなくなりました。
そこに一羽のニワトリが通りかかって「どうしたのか?」と たずねました。龍は耳の中が急 に痛くなったことを話しました。
ニワトリは「どれわたしが中を見てみよう」といって耳の中をのぞいてみると1匹の大きなムカデがいました。ニワトリはさっそくそのムカデをクチバシでつかまえるとペ口リと食べてしまいました。
こんなことがあって龍はムカデを怖がり、ムカデはニワトリを見ると怖がります。
琉球の 船には、舳先にニワトリの目を描き、ムカデ旗を立てて海の神(水の神)の龍があばれないための「オマジナイ」にするようになりました。
                                             月刊やいま より

大昔からエジプトやペルシャなどでも 穂先に目を書く習慣があった様です。目的地までちゃんとたどり着けるようにという事みたいです。西洋では、そのうち鳥の像やライオンなどの像が付けられ、女神像が残ったみたいですね。

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■沖縄で生まれ育った黒こうじ菌

□コウジカビ絵

東アジアや、東南アジアの国々では、酒造りに、カビの一種の、こうじ菌を利用しています。
日本の清酒は、黄こうじ菌、中国や、東南アジアでは、クモノスカビや、ケカビが、利用されています。

では、沖縄の泡盛は。?

黒こうじ菌。
これは名前のとおり、黒色の胞子をつけた、こうじ菌で、沖縄の酒屋が大切に育ててきた、沖縄だけの、こうじ菌。
黒こうじ菌は、香りがよく、デンプンを分解する力にも、すぐれている。

しかし、なんと言っても、黒こうじ菌の大きな特徴は雑菌を殺す力があるクエン酸(レモンのような酢っぱさの元になる。)を、たくさん造り出す事だ。

これが、高温多湿の為、モロミに雑菌が発生しやすい沖縄にとって、最速な菌と言われる理由。
因みに、九州の焼酎は、白こうじ菌を使うが、これも黒こうじ菌の変種で、明治の終わり頃、沖縄から、もたらされた物だそうだ。

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琉球の船がムカデ旗を掲げるわけ

昔話に龍がよく出てきます。あるとき一匹のムカデが住処を探して野山をさまよっていました。なか なか思ったような場所が見つかりせ ん。せっかくこの場所こそはと思った木の穴や家の床下などがあっても そこにはもう先に住みついているほかのムカデがいます。早く住処を見つけ ないと寒い日が来てしまいます。とう とう山深い池のほとりに来てしまいました。やっとそこに思ったような大きな穴 を見つけてそっと中をのぞいてみました。「あったかそうでなかなか良さそうだ」と思って中に入ってみました。「これはいい。まわりもやわらかくてあったかい」 さっそく穴の中の掃除を始めました。するとどうでしょう。地面がぐらぐらと揺れはじめました。「わーこりゃひどい大地震だ」。ムカデがほら穴だと思ったのは龍の耳の穴だったのです。龍はニワトリに助けられて耳の中のムカデを取ってもらいました。それから龍はムカデを見ると耳をふせておとなしくするようになりました。龍は「水の神」です。船乗りは海に出るとき「ムカデ旗」をかかげて海が荒れないようにしているのです。              月刊やいま より

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□ある海人(漁師)息子の日常

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前日に仕掛けた網を早朝に引き上げに行くんだけど、父親がビーチャー(酔っ払い)だったから、ほとんど毎日子どもだけで行っていたよ。朝三時~四時頃起こされるから眠かったけど、母親がアイスやみかん・黒糖とか、ごほうびをくれるから起きていたんだろうね。さすがに天気の悪い日は父親が行っていたけど、子どもだけで行っていたなんて信頼されていたんだね。

車を持っている家もほとんど無かったから、移動手段は馬車。魚を冷やす氷は毎日バスで街から運ばれてきていたね。
夏は布にかけておいて溶けないようにしていたさ。氷の入った木箱の中に捕った魚を入れて、町まで運んでいたね。

馬車の荷台も手作り、車やバイクの廃タイヤを使って車輪にしたり、木を組み合わせた車輪を鉄に巻いて使っていたよ。

自分はよく手伝いをしていたので町まで行くと、みんなに内緒で一人だけ今川焼きを買ってもらったのが嬉しかったさ。
昔はイカ・タコ・イラブチャー(ブダイ)なんかが良く売れていて、ミ―バイ(ハタ)やアバサー(ハリセンボン)は売れないから捨てていたんだよ。今じゃ、売れる魚は反対になってしまったね。

学校が終わって帰ってくると網に残っている魚を取りに行くんだけど、家からカブ(バイク)に乗って海まで行っていたんだよ。バイクを置いた場所から魚を上げた場所までは遠いから、浜に魚を置いてから歩いてバイクを取りに行っていたね。

そして、荷台に載せた木箱に魚を入れて家に持って帰っていたよ。あの頃は高価だったから自転車は無かったけど、小学校でバイクが乗れていたね。今じゃ考えられないね。

海の手伝いだけじゃつまらないから、時々、竹と拾った鉄でイーグン(モリ)を作って、タコとか取って遊んでいたよ。あれは面白かったさ。いらない魚は友達なんかにあげたりもしていたよ、友達は喜んで持って帰っていたね。夏は底地湾・冬は名蔵湾と海峡によって使いわけていたから、一年中手伝いをしていたね。冬でももちろん裸で泳いでいたよ。
濡れるのが嫌だったんだね。

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□カメガ—のおじぃ

□カメがーのおじい

白保のライフセーバー カメガーおじぃのお話です。

夏になるとみんな海に行って泳いでいたけど、遅い時間まで泳いでいたら叱られました。叱るのは、カメガ—のおじぃ。
不思議な人で、いっつも海にいましたね。怖かった~。カメガ—のおじぃを見つけると、「カメガ—のおじぃだ!逃げろ~」ってね。でも、このカメガ—のおじぃがいなかったら、白保ではもっと海難事故があったと思います。今でいう、ライフセーバーですね。

海で泳いでいたらすごく怒られました。海は怖いものだと教わっていたから。でも隠れてみんな泳いでいましたよ。でも、バレたらもう大変。だから、熱くなった防波堤でゴロゴロと転がったりして服を乾かしました。そう、泳ぐときは裸じゃなくて、服を着ていました。男の子は、バショウの木を切って、葉をむしって丸太みたいにして、浮き輪代わりにしました。またがったりしてね。

カメガ—のおじぃは今でいうホームレス。でも、沖縄本島の役人だったのか、その当時では珍しい、読み書きができる人。だから、集落の人にはとっても気に入られてましたよ。悪いことをしたら、叱ってくれるからね。子供たちの親からすれば「あの人はいい人よ~」ってね。子どもたちからすれば恐怖だけれどね(笑)

服装はHBジャケットっていう軍服みたいなのをいつも着ていました。ズボンはいつもヨレヨレ。靴は長靴の上のほうを切って短くしてたもの。夏も冬もおんなじでしたね。遠くからでもわかったね。

常にお酒のにおいもしていたね。あの頃は なんでかね~って思っていたけれど、今思うと、いろんなことができた人だから、各家にいっていろんなことを請け負っては、お酒をふるまわれていたり、食事をもらっていたのかな。

あの頃は海に行けば誰かがいて、遊んでいたけど、カメガ—のおじぃがいなかったら本当に大変だったと思います。白保の集落にとっては、本当に大切な人だったね。

おまけのお話です・カメガ—のおじぃは、昭和20年代後半から昭和30年代にかけて白保の御巖などに寝泊りして暮らしていたそうです。素性も本名もはっきりわかる人は、当時も今もいません。カメガ—は苗字のようですが、亀川さんだという人もいれば川上さんだという人もいます。字が達筆で頭もよく、役所への用事を頼むなどして、白保の多くの人が頼っていたそうです。

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□やぁーならいどぅ ふかならい

□家屋絵

表題「□やぁーならいどぅ ふかならい」についてお話しましょうね。

石垣島では昔から「やぁーならいどぅ ふかならい」と言う言葉が有ります。

意味は「やぁーならいどぅ=(お家で教わった事など)ふかならい=(そとでも出る)。」って言う事です。

いい言葉ですね。!

皆さんもつかってみてはいかがでしょうか?

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□アメリカ統治下で使われていたお金は?

□アメリカ統治下で使われていたお金写真

沖縄戦が終わり、沖縄はアメリカ軍の支配下におかれる。
住んでいた家は焼け、土地は軍用地として没収されるなか戦後がはじまる。
経済の混乱が続き、1946年のなかばまで通貨は使われず物々交換がおこなわれていた。
その後、本土からの引場者が円を持ち込み一方、アメリカ軍政府はB型軍票)という名の通貨を発行、1円が1B円と
みなされ、円とB円が同時に使われる時期が続いた。
1948年、米軍瀬府は沖縄から日本円を排除し、B円だけを法定通貨とした。
さらにドルと円の為替レートが本土では1ドル=360円、沖縄では1ドル=120B円とされた。
このような為替レートの設定は、アメリカ軍に依存する沖縄経済の構造をつくりだした。
冷戦体制のもとで、沖縄の米軍基地は次々と整備されていったが、基地建設に必要な資材は本土から優先的に輸入されたそのため、資材購入のためのアメリカのドル資金が大量に日本に流れこみ、日本の輸出産業を育てることになった。
沖縄では「円高」により輸入が増え、輸入に依存する経済構造が生まれ輸出に不利な為替レートのため、産業の中心で
ある製造業が十分育たず、多くの労働者や建設業者、サービス業者などは、基地に仕事を求め、基地に依存するようにもなった。またドルの流入はアメリカ経済とのむすびつきを強め、1958年にはB円は廃止され、ドルに統一されることになる。

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□第五話 昭和40年代(白保)

□第五話(白保)

第五話
三線の先生Yさん 織物の先生Mさん 思い出のお話です。
昭和40年代(白保)浜下りの風景

浜下りはとっても楽しみにしていた行事でしたよ。集落のみんなが浜辺に行って、ゴザを広げて楽しみました。お母さんは、前日からご馳走を作っていて、それを当日は浜辺に持って行って家族みんなで食べました。おいしかったね~。

子どもの仕事は、浜辺でサンゴの石ひろい。前日から子どもたちは、浜辺に行ってサンゴ石をがんばって探しました。あの頃は、浜辺に行ってもあんまりサンゴの石は落ちてなかったから、ちょっと大変。今はいっぱいあるけどね。

ひろってきたサンゴの石で、浜辺に自分の家の陣地を作って、門(入口)からトイレ、お父さん、お母さんの部屋まで。「お父さん、お母さんはこっちの部屋ね」って。広さは、4畳から6畳くらいだったかな。

かまども作りました。かまどで火を起こして、空になったサバ缶に海水を入れて塩を作ったり。子どもの頃だったから、とっても不思議でした。おもしろかったね~。

あと、ちっちゃい貝(チンボラ―)をゆでて食べました。あの頃は、子どもでも普通にマッチを持って火を起こしていましたよ。男の子は、ウニを探して食べていました。いろいろ楽しかったですよ。つくったさぁ~サンゴのおうち。

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□第四話 昭和30年代(川平)

□第四話(川平)

第四話
タコとり名人Oさん小学生時代の海遊びのお話です。
昭和30年代(川平)こっそり遊んだ海

親から「子どもだけで遊びに行くな」と言われていたけど、隠れて川平湾に遊びに行っていたね。漁師に見つかると、イーグン(もり)を投げられそうになって、慌てて逃げたさぁ~。

同級生と川平湾や底地湾で、腰まで浸かって釣りもしていたよ。山でとってきた竹に餌と重りのサンゴをくっつけてね。餌にツノメガニやガンガゼを使うとよく釣れて、今は高級魚のマクブー(シロクラベラ)もたくさん釣れていたさぁ~。

他人の家の手漕ぎの舟が浜に置いてあって、その舟を黙って使って釣りもしていたけど、主に見つかるとすごく怒られてさぁ~。そして、忘れた頃にまた使って怒られる、その繰り返しだったさぁ~。楽しいから怒られても止められなかったんだね。

黒真珠の養殖ロープの間がよく釣れていたさぁ~。釣った魚は持って帰ると親に怒られるから、人にあげていたさぁ~。
ウムズナー(イイダコ)取りもよく行っていたさぁ~。稲のワラにツノメガ二を半分に割ったのを包んで、巣穴に入れる。タコが触るとワラが揺れるから、ゆっくり引き出さないとタコが逃げてしまう。出てきた所をフォークで刺してつかまえる。この駆け引きがおもしろかったね。たくさん釣れたさぁ~川平湾。

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□第三話 昭和40年代(崎枝)

□第三話(崎枝)

第三話
現役海人Nさん小学生時代の漁と暮らしのお話です。
昭和40年代(崎枝)海人一家

親も海人(漁師)だったので、小さい頃からよく手伝いに行っていました。兄弟は男6人・女6人とたくさんいたけど、よく手伝いに行っていたのは三男の自分を中心に、四男、五男の三人でしたね。

昔はサンゴもたくさんあった。150cmくらいの枝サンゴが広がっていて、テーブルサンゴも大きいのがたくさんあったね。ピンク、黄色、青、緑など色とりどりで、きれいだったさ。

夜の海は船で沖まで出て、ライトとモリを持って魚を捕りに行っていたよ。お父さんはふんどし一枚、男兄弟たちは裸に水中メガネだけで泳いだよ。足ヒレも無かったね。服を着ていると泳ぎにくい、裸で泳ぐのは気持ち良かったさ。

新月の夜に漁に出ていたから、辺りは真っ暗。船にはカーバイトという灯りを乗せて漁をしていたよ。水を入れるとガスが出て、マッチで火を付けるんだけど、火をつけるのは子どもの役目。この頃にはマッチが使えていたね。

昔は物が無い時代だったから、漁で使う道具も手作りが多かったよ。漁に使う網は木綿でできていて、腐りにくくる為に染め粉で赤や青に染めていたね。

プラスチツクや鉛は貴重だったからね、網につける浮きは木を削って作ったり、重りはタカラガイを付けて使っていたんだよ。それに手伝いだけじゃつまらないから、竹に拾ってきた鉄を取り付けて自分でモリを作って、漁の合間にタコを捕ったりして遊んでいたんだよ。

父親は昔軍人で、色々な場所で生活をしていたから何でもよく知っていた。この頃の海人は普通はサバニで漁に行くけど、父親は使い勝手の良い「伝馬舟」をヤマト(内地)から仕入れてきて使っていたんだよ。この船は他では見たことなかったね。サンゴきれいだったさぁ~。

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□第二話 昭和40年代(登野城)

□第二話(登野城)

第二話
現役海人Sさん中学時代 海での遊びのお話です。
昭和40年代 登野城 手作りの舟(サバニ)

今もそうだけど、親には「海であそぶなよ!」ってよく言われたよ。でも、親に隠れて遊んでたね。
だから、海で遊んだあとは濡れちゃうから、濡れていると、すぐにばれちゃってから、怒られたよ。

裸で泳いだりはしなくて、Tシャツと短パンだったね。あの頃も、ハブクラゲがいっぱいいたから、やっぱり服を着てたね。でもよく刺されたよ。今みたいに、お酢なんて使わずに、そのままほっといた。

よく覚えてるのは、みんなで舟を作ったこと。一人乗りのとっても小さな舟。まわりからベニヤ板を集めてきて作ったよ。浸水防止に浜辺で拾ったコールタールを塗ったんだ。漕ぐときは、小さな板を手に持って漕いでいたよ。

目的地は、今の八重人工島の場所にあった防波堤。だいたい、舟10せきくらいで。大船団だね。たまにひっくり返っちゃうのもいたけど、中学生だったからみんな無事だったね(笑)。

防波堤まで何しに行ってたって?イカ釣りだよ。船に竿とリールとバケツをのせて。よく釣れたよ。家に持って帰ったけど、手製の舟で防波堤まで渡ってたなんて言ったら、怒られちゃうから、港で釣ったことにしてね(笑)。

防波堤の周りには、テトラポットみたいなものがあったから、よじ登って上にあがってた。もちろん、注意もされたよ。港にいるオヤジとか警察の人とかにね。

だから、港とかに海で遊ぶな、みたいな看板があるんだろうね。今とは遊びの度合いが違ったからね。とっても楽しかったさぁ~。

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□第一話 昭和50年代(野底)

□第一話(野底)

自然とのつながりが深かった ひと昔前の石垣島。どんな暮らしだったのか?あんなだったよ~
各(野底・登野城・崎枝・川平・白保)地域でお聞きしたお話を第一話から第五話にかけて御紹介させて下さいね。

第一話
昭和50年代(野底)石垣市在住 Mさんの野底地区でのお話です。
ある日の放課後
学校が終わると毎日、そとで遊んだね。
仲の良い友達と海で魚を釣ったり、近くの海で泳いだり。
自然の中での遊びを通して食べられるものも覚えた。
昔は遊びも無駄じゃなくて採った実をおやつにしたり、釣った魚は家族で食べたり。
遊びながら生活の知恵が、いっぱい身についたと思うよ。

今でも時々思い出すのは、小学校5・6年生のころ。
このころなぜか、食パンとマーガリンを持って、野底崎に登って、すっごく景色の良い山頂で食べるのがはやって
たんだ。なんでかねぇ。よくは覚えてないけど、このころにたまたま、給食とか家で、マーガリンを見かけるようになったのかな。ものすごくおいしかったよ。うまかったさぁ~

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□ナポレオンも琉球のことを知っていた!

□大琉球島探検航海記写真

19世紀のヨーロッパやアメリカの人々には、琉球は「理想郷」として、かなり知られていたらしい。
その情報の発信源となったのは、19世紀のはじめに出版されたバジル・ホールの『大琉球島探検航海記。』
1816年、英国海軍砲艦ライアラ号のバジル・ホールは、中国を訪れたあと、琉球まで足を伸ばし、
約一ヵ月半滞在。そこで彼が見たのは、友好的で戦争を知らない住民や、牧歌的で美しい島の風景。
二年後、彼はこの東洋の夢のような小島を紹介する航海記を書いた。
これが出版されると、たちまち評判を呼び、二年をまたずして、オランダ、ドイツ、イタリア、でも出版された。
こうして、彼の著書は、欧米の人々に「理想郷・琉球」のイメージを植えつけたのである。
ところで、この本のなかには、ナポレオンとホールが交わした有名な話が載っている。
バジル・ホールは、帰国の途中、セント・ヘレン島に寄港して、幽閉中のナポレオンと会見した。
そのとき、ナポレオンは、バジル・ホールから琉球には武器というものが一切ない、と聞かされると、
こぶしを撮りしめて、こう言ったという。
「武器がなければ、いったいどうして戦うのだ!」
戦いにあけくれた、いかにもナポレオンらしいエピソードですね。

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□日本で最初に空を飛んだ人は沖縄人?

□花火師安里jpg

「沖縄県沖縄市胡屋の安里家の四代前の祖先が、弾力を利用し、支柱に仕掛けられた弓矢に翼をつけ、これを足で上下に動かして飛行する装置を考案、沖縄県沖縄市泡瀬の海に面した断崖から飛行実験をし、成功した」
昭和8年7月31日付の「朝日新聞」に、こんな記事が掲載されたという。
安里家は「花火師安里」と呼ばれた安里周東で、今からおよそ二百年前の人といわれている。
彼が作った飛行機は、翼につながれた弦を足でこいで羽ばたかせるというもの、形は現在のハングライダーの
ようなもので、タコのように命綱がついていたという。伝説によると、最初の飛行実験は、沖縄県南風原町津崋山の
「メーヌモー(前の毛)」とよばれる高台で行われたらしい。
妻に命綱を持たせ、高台から飛び降りると、飛行体は調子よく舞い上がった、ところが、あまり高く上がり過ぎたため、妻があわてて命綱を引いたので、バランスを失い、自宅付近に墜落してしまった。
大正のころまで、安里家には、飛行体の図面や、実験に使った道具などが残されていたが、白アリの被害にあって
やむなく焼却されたという。
飛び安里の最初の飛行実験は、1768年から89年の間にかけて行われたと言われている。
日本最初の「鳥人」として知られる岡山の表具師・幸吉の「初飛行」が、1785年6月ごろといわれているから、
ひょっとすると、「飛び安里」は日本で最初に空を飛んだ人間かもしれないですね。

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知恵のある娘

むかし高い山奥の池に、1匹の大 蛇が住んでいました。この大蛇は大雨 を降らせ山すその村々に洪水を起こします。そして村人に言います。 「若い娘を一人差し出せ。そうすれば 洪水を出すのを止めてやろう」 村々ではくじ引きで娘を差し出す家 を決めました。その年は、一人娘の家 がくじを引いてしまいました。みんな はとてもかわいそうだと思いましたが、 くじを引いてしまったので、どうしようもありません。 でもこの一人娘はとても勇気と知恵 のある娘だったので、心を痛めている 両親に「私が山に入るときにマスに 一杯の針とお豆を持たせてください。 そうすればきっと私は帰って来れますから」と言って出かけて行きました。 娘は山を歩きながら豆を一粒ずつ地面 に落として行きました。帰り道の目印です。そして、大蛇の住む洞穴に着くとその穴に向かってマスに一杯の針 を投げ込みました。実はその洞穴は大蛇のロだったので、針を飲み込んだ大蛇は腹中を刺されて死んでしまいました。こうして娘は無事に家に、帰ること ができました。それから村々は洪水に 襲われることもなくなったということです。      月刊やいま より

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くしゃみの話

沖縄には、赤ちゃんが、「くしゃみ」をすると、「クスクエー(クスケー)」といって、魂(マブイ)を守るという風習があります。お話は諸説あるようです。そのうちの1つをご紹介します。

昔、長い間子供に恵まれなかった夫婦がいました。毎日のように神にお祈りして、1年後にやっと 赤ん坊に恵まれました。盛大な祝いを行おうとしている日、日が暮れかかった頃 沢山の友達が、子供の祝いの為に訪れて、お酒を飲んだり歌や踊りで祝っていたそうです。近所の友達が連れ添って、お祝いに、行こうとした道すがら、後ろからついてくる女がいたそうです。「あなたも良かったら一緒に行きましょう」とその女を誘い夫婦の家に行ったそうです。
着く頃には日も暮れて、家ではお客さんが沢山集まり三線が弾かれ賑わっていました。順ぐりに一人ずつ踊っているうちに、その女の番になりました。踊っているのを、裏座にいる妊婦が節穴から覗いて見たら、その女の胴から上は見えるが足がみえなかったそうです。驚いた妊婦は、これはマジムン(悪霊)にちがいないと近くにいる青年を呼び、藁を持って来させ左縄を七・五・三になわし(悪風返し)て妊婦のいる廊下に下げさせました。妻は気が気でなく夫を呼んでもらい節穴から覗かせると、妻の言うとおり下半身がなかったそうです。その女は、しばらくすると帰って行きました。妻は夫にあとを追うようにいい、あとをつけてみると、マジムンは墓の方に行ったそうです。
墓の側で様子を伺ってみると女が、「ここを開けてください」と言うと、墓の中から「だめだ。こんなに遅く帰ってくる者は入れない」と言われ、「それなら、どうしたら入れてくれるのですか」「今日お祝いした赤ん坊の魂を取ってきたら入れてやる」「それはどうして取るのですか」「子供の鼻をくすぐってクシャミをさせて取りなさい。」といわれたそうです。 墓でのやりとりを聞いていた男は大変驚いて急いで家に戻りどうしようかと考えていると 妻は、「おちついてください。クシャミをしたらクスケー、2回したらメークェーといいなさい」と教えたので、その通りにした。するとマジムンは子供の魂を取ることができなかったそうです。

元々は、仏教の言葉で「休息万命(くそくまんみょう)」長寿を意味する言葉だとか。それが、「くさめ」→「くしゃみ」となったとか、 糞くらえの意味だとか、いろいろあるようです。また、鎌倉時代の「徒然草」にも、遠く離れた子供がくしゃみしてないか心配のあまり「くさめ、くさめ」と言って歩く老女の話があるようです。
また スペイン語で「サルー」という言葉がありますが、乾杯の時にも言いますし、くしゃみをした人にも言います。健康や繁栄の意味があるそうです。英語圏でも 昔は、くしゃみをすると魂が抜けて悪魔が入り込むという言い伝えがありました。くしゃみの後には「Bless you」と声をかけてくれます。お大事にという感じですね。世界中に同じような習慣があるのは 面白いですね。

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4月、観測史上最大の雨!

みなさん、こんにちは。

今日は朝から大雨で至る所が冠水して、川と化していました。
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出勤の際の道路の状況

丁度、通勤通学の時間帯と重なりましたので、冠水もありかなりの渋滞が発生しました。
全国のニュースでも取り上げられていまして1時間で98ミリの雨でした。
前の車が進んでいきますので、ついていくのですが、運転しながら大丈夫かなあとひやひやでした。
出社後、午前中に出かけた際は、このまま進んだら、間違いなく車が止まると思われる箇所がありましたので、引き返しました。

こんな状態の日でしたのに、ゴミの収集はきちんとなされました。
素晴らしい!本当にお疲れ様でした!

このような時は、道路は冠水するのですが、建物の中までは被害がありません。
お客様からも心配のお電話を頂戴しまして、大変ありがとうございました。
雨は降り続けていますが、道路の冠水は収まっていますので、落ち着いいます。
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石垣島に梅雨ってあるんですか?

みなさん、こんにちは。
午後からは雨模様の石垣島でした。

本日は、午後からオーストラリアからいらっしゃいましたご夫婦のご案内をさせていただきました。
今お住まいの場所も、亜熱帯で、石垣島と雰囲気が似ているとのことでした。
ご案内の中で、「雨が止まないねぇ」とことでしたので、「石垣島もそろそろ梅雨入りなんですよ」とお答えしましたら、題名のお言葉が返って参りました。
石垣島には梅雨はないと思っていらっしゃいました。
石垣島の梅雨は、大体ゴールデンウィーク明けから6月の中~下旬あたりまで続きます。
蒸し暑く、一日中雨が降り続けることは少ないですが、すっきりしない日が続きます。
そして、ハーリーが行われる頃に梅雨が明けると言われています。大体、そのようになります。
実は、石垣島への飛行機運賃が一番安いのは、この時期なんですよ!

お客様は約1年ぶりの石垣島でしたのに、あいにくの空模様で残念でしたが、石垣島を大変気に入ってくださいました。
お連れしましたビーチでBeautiful!とおっしゃってください、こんな天気にもかかわらず良かったなぁと思えた瞬間でした。
駆け足の島内一周でしたが、石垣島の魅力を感じていただくお手伝いができまして、ありがとうございました。

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4月25日のサンセットビーチ

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八重山での稲作

みなさん、こんにちは。

今日4月の第4日曜日は、サトウキビの日です。
沖縄の基幹作物ですが、沖縄でも稲作は行われています。
そして、石垣島は沖縄一の米どころなんですよ。
「コシヒカリ」は背が高いので、台風の被害を受けやすく、石垣島では背の低い「ひとめぼれ」が一般的です。
今朝早く車を走らせていましたら、朝日に照らされていた田んぼが綺麗でしたので、写真を撮ってきました。
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八重山での稲作は、以前は三期作をされていたそうです。
最近では、三期作どころか二期作も減ってきて、年1回しか作らないところが増えてきたそうです。
この写真の田んぼは2月初めに田植えをされたところです。
6月には、稲刈りも始まります。
そうしてスーパーには新米が並びます。
日本一早い新米をいただくことができるのが、石垣島です!
楽しみですね!

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ビーチにいる牛さんたち

みなさん、こんにちは。
蒸し暑い日が続いています。
梅雨がもうそこまでの八重山地方です。

さて、石垣島をドライブしていますと、牛を見る機会が多いと思います。
大体は、牧草地で草を食んでるか、横たわっている姿ではないでしょうか。
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ところが、石垣島ではビーチに牛さんがいる場所があります。
写真はこちら。
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まずは、伊原間の明石「スカイアドベンチャーうーまくぅ」さんを目指しましょう。
うーまくぅさんへは右折するのですが、ここは入らず道なりに進みます。
するとゲートが閉まっていますので、車を降りてからゲートを開けます。
牧場内に入ったら、ゲートを閉めましょう!牛さんを逃がさない為です。
そこから1分ほど進みましたら、芝生の上に車を停めてビーチまで歩きましょう。
近づきすぎると牛さんたちはゆっくりと離れていきますが、意外と牛さんの近くまで行くことができます!

時間帯ですが、お昼前後だと遭遇することができると思います。
是非、お立寄りになってくださいね。
ただし、牛さんを驚かしたり、邪魔をしてはダメですよ!

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びっくり、シロアリの巣!

みなさん、こんにちは。

先日、ジャングルの中で作業をしていましたら、大きな黒い塊が木に張り付いています。
始めは何か分からずにいましたが、なんと「シロアリ」の巣とのこと。
斜面でしたので、滑って手でも突っ込んでしまうと中からシロアリの大群が出てくるよということでした。
突くとザクザクと崩れるそうです。
それからは、この巣の脇を通るときは、滑らないように気を付けて作業を続けました。
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シロアリは社会生活をするところや女王アリがいるなどアリとの共通点もありますが、アリではありません。
ゴキブリに近縁な昆虫だそうです。

そういえば、巣は今回初めて見ましたが、シロアリ自体を見たことがありませんでした。
ネットの画像でよく見ると、見た目もアリとは全く違いますね。
さすがに民家の近くとかでは、このような巣は無いようですので、ご安心くださいね。

ジャングルの中に入ることもないでしょうが、こういうものを見つけたら、気を付けてくださいね。

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絶景ポイント 宇城不動産版1

みなさん、こんにちは。

昨日から石垣島へ何度か来たことのあるお客様をご案内をさせていただきました。
石垣島をじっくりとご覧になられたことがないとのことでしたので、宇城不動産版絶景ポイントにお連れしました。
宇城不動産で北部を案内させていただく際には、必ずお連れするポイントです。

場所は、伊原間の明石。パラワールドのテイクオフ場です。
県道からは大変分かりにくく、少し登ると柵があります。
普通の方は、この時点で入ってはいけないと思います。
この柵を開けて車を入れ、また柵を閉めます。この中は牧場で牛が放し飼いされていますので、牛が逃げない為なんですね。

勾配のきつい坂を何度か曲がりながら、テイクオフ場に到着です。
車を停めて少し登ると、この通りです。
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この大パノラマをご覧になられて、感動されない方はいらっしゃいません!
ここの土地が良い となります。
石垣市の土地ですので売買はできませんが、みんなでこの景色を堪能しましょう!

更にのぼるとこうです。
写真では分からないですが、なんと「多良間島」が写っています。
石垣島と宮古島の間にある島です。天気が良い日には、ここや平久保崎灯台から見ることができます!
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左が太平洋、右が東シナ海です!

こうして、石垣島推しの方がまた増えました!

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日本最南端で行われるトライアスロン!

みなさん、こんにちは。

今日は石垣島トライアスロン大会2017と第3回八重山郡トライアスロン大会が開催されました。
エイジ部門には855人、リレー部門では65チームが参加されました。

9時過ぎ頃には事務所の前の国道を、参加選手のバイクが駆け抜けていきました。
スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmです。
自分にはいずれか一つをするのでも大変ですが、さすがに鍛えらえた皆さんです。
かなりのスピードでした。
競技で大変な中でも、自然豊かな石垣島の魅力を感じていただけたのではと思います。

開催されない年もありましたが、これだけの皆さんが参加される大会です。
今後も継続されて多くの方に、石垣島に来ていたできたいと思います!

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アカショウビン

みなさん、こんにちは。

今日、車を走らせていましたら、目の前を高速で横切る赤い鳥が?
アカショウビンでした。
石垣島で見られるのは、正式にはアカショウビンの亜種で「リュウキュウアカショウビン」です。
赤いくちばしと、体全体が赤い(おなかはオレンジ)ので、火の鳥の異名を持ちます。
アカショウビンは渡り鳥でして、4月の初めころにやってきて10月にはいなくなってしまいます。
鳴き声は、「ヒョロロロ~」と鳴きます。
Ruddy kingfisher

お客様の経営されているペンションでは、発泡スチロールを茶色く塗って木にぶら下げています。
すると、アカショウビンがやってきて、その発泡スチロールに巣を造ります。
この時期に宿泊されるお客様は、高い確率でアカショウビンを見ることができるそうです。

便利な世の中ですが、自然の営みで季節を感じることができるのも、ここ石垣島の魅力です!

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石垣島で打ち上げ花火

みなさん、こんにちは。

昨日、ドン!ドーンと音がしましたら、インターコンチネンタル石垣リゾートさんが花火を打ち上げていました。
時間は5分ほどでしたが、写真に収めてみました。
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4月3日にも打ち上げされていました。
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4月3日の花火の様子

今では石垣島でも年に何度か花火が上がります。
2月には新春花火大会が開催されました。
私が石垣島に来た頃は、始まったと思ったら終了する感じでしたが、最近では、時間も長くなってきています。
内地の大きな花火大会に比べたましたら規模も小さいですが、石垣島には丁度良い可愛らしをを感じます。
花火があがると、みなさん立ち止まって眺めたり、写真に収められたりしています。

ちなみに、インターコンチネンタル石垣リゾートさんには、打ち上げ花火プランというのがあります。
100発で74万円からですが、どなたかが申し込まれて、花火が上がっていたのかもしれません。
昨日は100発も上がっていない気がしましたが・・・

観光でいらした際に花火大会と出会えましたら、大きな花火大会とは違った石垣らしい可愛さを感じてくださいね。

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小玉パイン!

みなさん、こんにちは。

今日、伊原間方面を走っていましたら、既にパイナップルが販売されていました。
もう、そんな時期になったのだなと思いながら、お店に寄ってきました。
通常のサイズ(こちらは1玉500円でした)とは別に、小さなパインも1玉100円で売られていましたので、購入してきました。
お店の方に食べ方を聞いてみました。手でちぎることもできるけど、普通に包丁で切った方がよいとのことでした。
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戻ってきてから、早速頂くことにしました。
まずおしり(下側)をカットし、立てます。立ててから、皮をそぎ落とすように切ります。
もうそこからは、手でちぎっていきました。
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ほのかな甘酸っぱい香りがします。お皿にもると、果汁が少し溜まっています。
今年初のパインは、十分甘みもありましたが、僅かに酸味が残る味でした。
大玉ですと一人では大きすぎますが、小玉パインでしたので、食後のデザートに丁度よい量でした。

これからはパインを始め、マンゴー、ドラゴンフルーツ、島バナナ、グァバなど南国のフルーツが旬を迎えていきます。
今から楽しみです!

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八重山でも温泉施設!

みなさん、こんにちは。
今日は、昨日までとすっかり変わって、肌寒い一日です。

今朝の新聞に、竹富島で温泉掘削開始の記事を拝見しました。
ホテルピースアイランド竹富島さんが掘削を始められたとのことでした。
温泉が湧出されれば、島民に還元できる施設を造られるようです。

西表島には、日本最南端の温泉施設がありましたが、2012年に閉鎖されてしまいました。
同じ西表島では、ラ・ティーダ西表リゾートさんが、今年のゴールデンウィーク頃には「西表島温泉カンパネルラの湯」をオープンされる予定です。

そしてここ石垣島でも、現在、温泉リゾートホテル(仮称「ラビズタ石垣島」さん)が建設中です。
場所は、「桴海(ふかい)」の浦底湾に面した所になります。
鉄筋コンクリート造りの3階建てとコテージタイプを合わせて86室のホテルです。
温度は約33度で、泉質は塩化物強塩泉で中性です。
真夏の暑い石垣島では33度でも大丈夫なのか、それとも更に温めるのか、気になります。
工事現場の看板には平成30年4月30日までが工事期間となっていました。

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桴海のホテル建設工事現場

石垣島で暮らしていますと、気温が20度以下でも寒く感じます。
そんな時には、ゆったりと温泉に浸かってのんびりしたいですよね。
宿泊客でなくても利用できるようですので、今から楽しみです!

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サトウキビの収穫、操業も間もなく終了です

みなさん、こんにちは。

今日北部から戻っていましたら、目の前に、刈り取っとサトウキビを運ぶトラックと遭遇しました。
そろそろキビの収穫と製糖工場の操業も終わるころだと思って、調べてみました。
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すると今期の収穫見込みが、約9000トン上方修正されていて、7万7000トンとなっていました。
製糖工場の操業も、当初の4月8日から25日ごろに延長されています。
昨年は、台風の襲来も少なく好天に恵まれた結果、増産と糖度の向上につながっているようです。
来期に向けた春植えと株出しも順調でして、収穫面積も増加が期待されています。

その前の年は、近年になくひどい状態だったと、農家の方に伺いました。
やはり、サトウキビは沖縄を代表する産業ですので、農家の皆さんが、昨年の分をカバーできることを願うばかりです。

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